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かわいいからあげる

ミーハー女と熱病

紳士のための愛と殺人の手引きを見てきました

「紳士のための愛と殺人の手引き」と「君はいい人、チャーリーブラウン」を見てきました。

一月に「フランケンシュタイン」を見てから物凄い勢いでミュージカルに転げ落ちて、未だ落下し続けています。底が見えない。
フランケンに関してはもうまともな文章にして纏めることができそうにないので、再演(例のポロリをめちゃくちゃ信じて生きてる)の折りにはどうにか書き留めたい……。
とにかく魔性の演目です。闇属性のあるオタクは全員見てほしい。


そういうわけで、恐らく四年ぶりくらいに推しが増えました。
なんとなく気恥ずかしいので明記しませんが感想書いたらバレバレだと思います。
そしてなぜか初めて「推しに手紙を書いてみよう」と思い立ち短いメッセージカードを書いて、プレゼントに添えました。推しにプレゼントを買ったのも人生初です。自分の選んだものが推しの手に渡るって変な気分になりますね……。(勿論、ご本人が読むかわからないし使うかわからないけど、それでも妙にソワソワした)
そんなこんなで二人のビクターを巡る旅をしてきたので備忘録を兼ねて感想を。

 


4/17 マチネ
紳士のための愛と殺人の手引き@日生劇場


フランケンぶりの日生劇場。もはや日生に住みたい柿澤勇人さん。

まず幕間に入ったときに、あれ? もう終わりだっけな? と思うくらい第一幕がきれいに纏っていて、すでに一作品見たような満足感でした。
地位もお金もない、純朴でやさしい青年、モンティが伯爵への階段をトントン拍子に駆け上がりながら、急激に、そして自然に、少々打算的でウィットに富んだスマートな大人の男になっていく。
そのモンティの変身の過程をまさに「愛と殺人」によって見せてくれるような作りだと感じました。

モンティの「愛」については、その大部分をシベラが占めていたと思うのですが、わたしは彼女のことがとても好きでした。
「この街には少し派手かしら」と歌いながら大好きなピンクのドレスを着て、好きな男と条件のいい男を天秤にかけ、結局はどちらも選んでしまう。彼女の迷いのなさや、気まぐれで底抜けに明るくて、自己愛の揺らがないところはかっこいいし、ほんのちょっとの物悲しさを感じさせる部分もあって、本当に「魔性の女」そのもの。
騒がしくって頭は空っぽ、みたいに振る舞うけど、本当は作中の誰よりも現実的なキャラクターに見えました。
奔放なシベラにモンティはいつも上手く躱されていて、キスもシベラの許したときにだけ。そんなモンティがやがてシベラからキスを強請らせ、客席の方を向いて得意そうに笑うシーンは頭が沸騰するくらい良かったです。
シベラの言葉はどれも口から出まかせのように聞こえてしまうのですが、最後まで観てから思い返せば、あれは真実だったのではないかなと思ったりしました。
「ダメなの あなたがいなきゃ」も「わたし可哀想」もそれなりに本気で言ったんじゃないかなあ……それだけが彼女の真実ではなかっただけで。
自分の結婚に落ち込むモンティに「わたしよりかわいい子と結婚して、あなたは誰にも邪魔されずにきっと幸せな家庭をつくるわ。それを見て思うの、『わたし可哀想』」みたいな内容の歌詞を晴々と歌うシベラを見てわたしも痺れました。
たぶんわたしがシベラ好きだ! と惚れ込んだのはあのシーンです。普通に考えてシベラかなりひどい。でも好きだ。
モンティからすれば傷口に塩を塗りこまれたようなものだけど、シベラにとってあれは自分への戒めでもあったような気がする。好きな人と一緒になれない、という意味ではモンティもシベラも同じ。自ら捨てる側に立ったシベラには多少なりとも覚悟があったはずだと思います、きっと。(結局モンティを手放す気はさらさらない身勝手さも彼女らしくてすきです)
それから二幕冒頭のベッドシーンはほんとうに……ほんとうにもう駄目かと思った。あの「見られるのは嫌い?」が映像や音源としてこの世に残らないのは残念にもほどがあります……。

そしてもう一人のヒロイン、フィービーはとにかく世間知らずのお嬢様で終始物事の核心をなにもわかっていなさそうなところが可愛かったです。
モンティの正体を知っているかのように仄めかす歌詞があるけど、もし本当のことをわかっていてモンティと結婚し「彼は無実」と言っていたのだとしたら、したたかすぎて惚れる。……と自分で書きながら、その可能性も捨て切れないことに気づいて震えています。
それくらい可愛らしいお嬢様の中には毒っ気と鋭利ななにかが潜んでいて、フィービーはシベラよりもずっとしたたかな女の子かもしれない。
夕食会のシーン、ダイエットの為にデザートを食べないシベラの横でぱくぱく食べていたフィービーを思い出しました……結局モンティとも結婚しちゃうし。強い。
でもやっぱり女の子らしいところもたくさんあって、特にモンティから手の甲にキスの挨拶をされたときに足を後ろに曲げてスカートの裾を持ち上げる演出がすごくかわいかった。
前述の通りわたしはシベラとモンティの関係がとても好きだったのですが、作中で一番心に残ったのはフィービーの台詞でした。
牢屋(拘置所?)にいるモンティに「あの人、あなたを愛してるの?」と言う台詞。その前の「夕食会でも裁判所でもライオネル夫人はずっとあなたを見ていたわ」「……シベラが僕を見てた? どんな目で?」という二人の遣り取りを含めてあのシーンがだいすきです。
妻に他の女との関係を疑われながら、どんな目で? なんて聞いてしまうモンティ……。あの瞬間、モンティの時が止まったようになるのが堪らなくグッときました。まるで冴えない青年だった頃のように間違った選択(でも素直な選択)をしたことにも胸がいっぱいになりました。
さらにその後、モンティを釈放するためにフィービーとシベラが手を組んでいたんだ! と気付いたときにはわたしはもう……胸熱が過ぎてどうしようかと……。傷ついて出て行ったふりして、夫の愛人すらも利用してモンティを助けるフィービー、かっこよすぎる。
モンティを愛する二人の女がすれ違いざまにサラッと握手を交わすシーン、最高でした。


「愛」について長々書きましたが、自分のための備忘録として……。
「殺人」に関してはとにかくコメディで馬鹿馬鹿しくてエンターテイメント! といった感じで、なにも考えず楽しかった!
市村さんが出てきては死んでいくテンポ感すごいです。出てくるたびに役が変わる市村さん、声も話し方もまるで変わって、まさにエンターテイナーでした。
モンティがこの物語に一本道を通しているとしたら、市村さん演じるダイスクイスの人間たちは景色や空気や場面を変えていく要素のような……。
アスクイス卿をモンティが殺さずに済んでほんとうに良かった〜! さすが喜劇。
あと早替えが本気の早替えでした。もはや魔法。レディヒヤシンスになって出てくるところだったか、死んで捌けたと思ったら次の瞬間にはドレス着た市村さんがステージの上にいて「エッ!?」となったところがありました。あれはどうやっていたんだろう……?
「殺人」を通してのモンティの成長を見ていると、元々モンティは愛想が良くて理知的で、人付き合いの上手なタイプなのだろうなと思います。それから賢く、優秀な人でもある。貧乏でなにも持っていなかった頃の彼が自分の中に眠らせていたものが、殺人によって開花していくというか、殺すごとに魅力を増していくモンティ。罪深いです。

柿澤さんの演じるモンティは純朴な青年から凄まじいスピードで成長していくのに、確かにずっと「モンティ・ナヴァーロ」でした。纏う雰囲気が変わっても女の口説き方が変わっても、別人と思う瞬間はひとつもなかったです。
最後まで彼のチャーミングな部分は残っていて(刑事とのシーンだったり、回想録を忘れてきたり)、でも反面どんどんセクシーな男になっていき、言葉巧みに女も男も魅了してしまう……本当に魅力的で目が離せない青年でした。
「君と同じ空気を吸うだけで痺れるほど好きだ!」と必死に取り縋っていた彼が、なにもかも手に入れて赤絨毯の階段の一番上に立っているのを見たとき、何かよくわからないほど感激しました。
ミスシングルのモンティとお母さんに対する愛の深さにも涙が出そうだった。
喜劇だけれど、楽しいだけじゃなく、モンティやシベラ、フィービーの抱える惨めさや寂しさや退屈が愛おしかったです。

紳士の音楽はどれも華々しくて、上品で、柿澤さんの歌声がとても輝かしかった。宮澤エマさんの歌はきんと澄み切っていて、聖歌みたいにも感じました。シルビアさんはセクシー、春風さんはお茶目、市村さんは変幻自在。
それから衣装の拘りも凄くて、シベラが出てくるたびに毎回違うドレスだったことにびっくりしました。七、八着くらいはあったと思う。いつも必ずビビッドピンクのスレンダーラインなのに、ひとつひとつデザインが違っていて、黒いレースがあしらわれていたり、ストライプ生地が使ってあったり、衣装さんの愛だなあと感動しました。
柿澤さんがビクターっぽいと話していた喪服もあの一瞬のためにあんなかっこいいコートを、と思うともっと長く見ていたかったし、アンサンブルさんの喪服も一着ずつ全て形やデザインが違っていて、見ているのが楽しかったです。

 

わたしは普段、役者ありきに観劇することが多いので、板の上にいる人のことを「役を演じている役者」「役者が演じている役」として見ていて、常に役者本人のことが意識から外れることはないのですが、今回柿澤さんを見ていて、そこに知らない役者がいるような感覚になりました。
フランケン以来過去の映像作品も少し見たり、スリルミーのCDも聴いたり、インタビューをいくつか読んだりもして、少なくとも知らない役者ではなくなっていたのに、知らない劇団の名もない役者を見たときに「この人なんなんだろう」と興味が湧くような気持ちに改めてなって、すごく不思議な感覚でした。(名もないというのは、見ている側にとって、本当に名前すらも知らないという意味です。売れてる売れてないとかではなく)
柿澤さんって不思議な人だなあ、と感じたことを、書き残しておきたいです。
あ、あと、カテコで0番に立って礼をしたときの横顔がとっても綺麗だったことも。
ああ見たこと全部がずっと記憶に残ればいいのになあ。すでに記憶が薄れていて悲しい。
紳士、どうにかもう一回行けないかと画策しています……己の経済力を呪う日々……。


紳士の感想があまりに長くなったので、チャーリーのことはまた別記事に書こうと思います。
ここまでお付き合いいただいた方、もしいらっしゃったらありがとうございました!

 

初めまして、ミーハー女です

 

こういう感じで挨拶したいくらいには、自分のことをどうしようもないミーハーだと思っている。

ミーハー、熱っぽい、飽き症の三重苦。

わたしはずっとそのことを後ろめたく、心苦しく感じてきた。

 

わたしは、例えばドラマなんかを見て、「好きだな」と思う俳優に出会うと「知りたい」という欲が湧いてきて、インターネットを何時間も彷徨ったりする人間だ。

かと言って、インターネットに溢れているような情報はその俳優のファンなら誰でも知っているようなことだろうし、何年も追いかけているファンとは到底渡り合えるものではない。そういう自覚はあるからか、ある程度知り尽くしたと思った途端、急に夢から醒めてしまう。

その夢に浸っていられる時間は様々で、当然長く浸っていた夢から醒めるときが一番つらい。短ければ数時間、これは興味本位で済ませられる。だけれど二年くらいどっぷり嵌っていた夢から唐突に醒めたときには、もう駄目かと思うほどつらかった。

 

 

わたしが初めてきちんとファンの自覚を持ったのは、某KPOPアイドルグループだった。

元々二次元オタクでアニメやニコニコ動画の類が好きだった。韓国にもKPOPにもまったく関心はなかったのに、ある日なんとはなしに見た自主制作ドラマの動画でわたしの人生はぐるりと変わった(大袈裟だけれど本当にそう思う)。

そこからそのアイドルグループ自体にハマり、MVを見る中で顔を判別し、名前を覚え、好きなメンバーも自然と決まっていった。

もって二週間、と思っていた目論見は外れ、気づけば彼らのことばかりを考えて数ヶ月が過ぎていた。

当時十代だったわたしには、まずそれほど長く「好き」が続いた経験がなく、何ヶ月も引く気配のない熱に歓喜し、ずっとこのまま彼らを好きでいられるものと思い込んでいた。

団扇を作って人生で初めてコンサートにも行き、ドームの天井から豆粒のようなメンバーを見て感激した。本当に生きていて動いているのが信じられなかったし、爆音で体に響き渡る音楽も派手な照明も、生で聴く歌班である推しの歌も、わたしの心臓をハンマーで殴ってきた。田舎で生きてきたわたしにはあまりに衝撃的な非日常感だったのだ。

「この人が好きだ、本当に好きだ」と本気で苦しくなったし、ずっとそうでいることが当然だと思った。

 

けれど、二回目のコンサートに行って暫くした頃だったか、悪夢のような瞬間は本当に唐突にやってきた。わたしの内側から、すうっと彼らに対する熱が解けていった。

そのときの漠然とした不安、何より彼らに対する申し訳なさを思い返すだけで血の気が引く。

ファンとメンバーとの結束が強いと言われているグループだったから余計だったかもしれない。たった一人ファンが減ったくらいで彼らはなんともないのだが、それでも恋人がいるのに浮気をしてしまった、というくらい後ろめたくて苦しかった。

 

最近あるきっかけがあって、またそのグループのファンクラブに入り直した。

社会人になってコンサートにも前より頻繁に行けるようになったし、やはり歌を聴くと推しのことを掛け値なく素晴らしいと思う。かっこいいし、かわいい。好きだ。

でも、どんなに好きの気持ちが膨れても、彼だけを真っ直ぐ見つめるファンには敵わない。

いつもそのことを頭の中に置いておくようにしている。そしてそういうファンの人を尊敬している。

それはわたしがミーハーで移り気な自分と折り合いをつける為のお守りみたいなものだ。

 

ひとつのことに直向きに生きられる人や、ひとりの人を一途に追い続けられる人を眩しいと思う。それはもう、とてつもなく。素晴らしい、大好きな人の歓びや苦労に寄り添って、一緒に泣いたり笑ったりすることができるのは、どんなに素敵なことだろう。羨ましいし、一生どうにもならない憧れのようなものがある。

今でもやっぱりなにかひとつのものを半永久的に愛したいと望む気持ちは消えないけれど、数年前よりは割り切れるようになってきた。

 

ミーハーの罪をすぐ後ろに感じながら、ファンだと胸を張れないもどかしさに焼かれながら、テレビでドラマを見て、映画を見て、気になる舞台に出向き、どきどきするものに新しくたくさん出逢う。

そんな風に生きていこうかなあと、なんとなく思っている。